ここに至るまでのお話
昔からわたしの自慢は自分の誕生日だった。
GWや夏休みのような、友人には直接祝ってもらえないが現場がある確率が高い!といったようなものではない。
ただただ自担である知念侑李の誕生日と、その知念侑李がリスペクトしている大野智の誕生日のちょうど間ということがわたしにとってはとてつもなく大事なことだった。
ちなみに予定日のとおり生まれていたら12/2だった。それはそれでおいしい。
加えて言えばわたしは星座や生まれ月が同じという以外でも、知念侑李と共通点あるいは似ているところがある。
(あんなに恵まれたルックスはしていない。
運動神経なんてひどいものだ。
かろうじてわたしができるのは水泳だ。今回彼が映画撮影によってできるようになった!という水泳だ。)
まず身長は同じではないが大差ない。
そしてわたしは左利きである。
今は仕事で関東のはずれに住んでおり、クルマ社会にも関わらず免許を持っていない。
社会人となった今、学生時代にとらなかったためもはやとる余裕がないというのももちろんある。
しかし今、これを書くにあたり改めて『知念侑李』を検索したが、知念侑李のゴーカートエピソードはまさしくわたしが常々周りに言ってきたものである。
知念の真似をしているわけではない。実際ゴーカートを傍のタイヤにぶつけまくる子供だった。
その他しばしば似てるなあと感じる瞬間がある。
似てる人だから好きになったのか、好きだから生まれ持ったスペック以外の要素も似てくるのか。
周囲に性格について比較されることもあるがそれはわたしが語ることではないだろう。
そんなわたしはずっと知念侑李を追いかけてきた。
デビューした2007年わたしは地方の中3だった。そこから全てが変わった。
Jr担ならわたしはまだ地方から通っただろう。
デビューしてしまったのである。
まだVHSだった時代、録画した横アリの中継はテープが切れるんじゃないかってくらい見た。
中3で既に高校卒業後の進路を調べる学校に通っていたわたしはそこで決めていた。
『上京する』と。
周りは地元あるいは関西への進学が多い。
よく先生からも勘違いされたがわたしは都会に出たかったわけではない。
何より番協や夜公演など利便性の高い都内にでたかったのだ。
中高時代もブログをやっていた。
他にもモバゲー、mixi、前略等同世代には馴染み深いものを通してコミュニティを築いていた。
結果的には進学も就活も明確なビジョンがあったわけではない。
強いていうなら都内に住む、それだけだった。
自分の元々できる分野に進学し、できる仕事を選んだ。
中高時代の同級生は、少なくともこの9年ずっとわたしが日本中を飛んでいることを知っているわけだ。
わたしの人生を変えたのはまぎれもなく知念侑李の存在である。
今だって昨日の舞台挨拶先であった名古屋で記事を書いている。舞台挨拶数十分のためだがその数十分は日常を忘れ、リセットするためにはとても大事だ。
もはや生活の一部と化しているヲタ活であるが、リア恋とは全く違うものである。
正直リアルで彼氏がいようといなかろうと、少なくとも自分の知念侑李に対する心持ちは変わらないのだ。